ESSAY |
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コンクールに挑戦していた頃役者を目指して単身上京し、30歳を過ぎて、映画「竜二」を撮って亡くなられた金子正次さんのように、自分で書いて自分が演じようとシナリオを書いた。初めて書いたシナリオだった。それを阪本順治監督に送った。電話を頂き「会って下さい!」と懇願すると快く会ってくれた。「面白いけど、今俺ボクシング映画撮る気ないから」とやんわり断られたが、その日のうちに飲み屋を三件梯子し、別れ際に「頑張れよ」と言ってくれた。 それが励ましとなり、違う題材のものを書き、フジテレビのヤングシナリオコンクールに応募、最終選考まで残った。 月刊シナリオに映画会社に持ち込んだら映画化が決定したという脚本監督のエッセイに触発され、最初に書いた 脚本を大映に持ち込んだ。半年後にプロデューサーから電話が掛かってきた。「君に興味のある監督がいるから、 会ってみない?」それが望月六郎監督だった。「この脚本を撮る気はないけど、ボクシング映画企画してるンだ……やってみる?」処女作は棚上げとなり、望月監督の企画に取り組んだが、製作には至らなかった。 一年後、望月監督が「タダ働きさせてるの悪いから、ヤクザものの企画なんだけどやってみる?」と言ってきた。 「やらせて下さい!」それがデビュー作の石橋凌主演「新・悲しきヒットマン」だった。 それから同監督で「鬼火」、青山真司監督「チンピラ」、三池崇史監督「不動」「ブルース・ハープ」と続いた。こう書くととんとん拍子のような感じもするが、映画が評価を受ければ受ける程、落ち込んでいた。映画の評価は全て監督のもので脚本家のものではないのだ。脚本家は「脚本がダメで全部自分が直した」と監督が言う為の道具にしかすぎなかった。そんなこともあって、「鬼火」の脚本を高く評価してくれていたテレビのプロデューサーからお声が掛かった時は正直、嬉しかった。 その後、連続ドラマ「ボーダー」「シンデレラは眠らない」や、二時間ドラマを書かせてもらうことになった。 しかし、ここでも壁にぶつかった。二時間ドラマには古い映画の監督が多く、「この脚本、さっぱり意味がわからん」とか言われたり、勝手に台詞を(ダサく)直されたりして、不満が残った。「これはもう自分で撮るしかない!」と一念発起し、企画を見つけ、映画を撮った。「問題のない私たち」である。作品は満足のいく出来になったが、資金集め、配給宣伝、ギャランティ、納得の出来ないまま進んでいくことが多く、今度は製作面で不満が残った。 そして、再びコンクールである。今年の始めに第三回日本映画エンジェル大賞に応募し、大賞を受賞した。それが阪本監督に読んでもらい、大映に持ち込んだ処女作(を改稿したもの)だった。この世界に入って自分が受賞した初めての賞だ。 プロの脚本家になってからも、この脚本を持ち、色んな映画会社や出資会社を営業していた。答えはいずれもNOだった。自分自身はこの作品に絶対の自信を持っていたので、NOという会社は見る目がないと、さほど凹まなかった。あきらめずに頑張っていれば必ず認めてくれる人がいるはずだ、と。 日本映画エンジェル大賞は、能書きや理屈よりも、がむしゃらに演劇や映画に取り組むことが大事なんだということを再確認させてくれた。ズルしない、逃げない、めげない、凹まないの精神を持ち続け、プロだろうがアマだろうが肩書きなんか関係ない、心はいつも“コンクールに挑戦していた頃”ではなく、“コンクールに挑戦している今”なのだ。 2001.11月号「月刊ドラマ」 |
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