ESSAY

   
森岡利行

書くべきか書かざるべきか


 どっちがいいのでしょうか? 
ある脚本家の方はト書きを饒舌に書かれます。現場では「こんなのどうやって撮るンだよ」とか「なんだこのかっこつけたト書き」とか「演出の範疇だよ」と監督が苦笑していたりします。
脚本家は「演出や演技のヒントになれば」と書いたりしますが、けっこう迷惑だったりもします。アホな監督はその通り撮らなければと思うし、アホ俳優はガンジガラメで演じています。ていうか「どうやって演じるンだこのト書き」みたいなものもあったりします。だいたい「と笑う」だ「と泣く」とか書かなくても、セリフ読んでりゃわかるだろっていうのが持論だし、「と照れながら頭を掻く」とか書いてあったりすると倒れそうになりますよね。シナリオ通りやられても面白くないというのもあります。そのセリフの裏に隠された意味を読みとるのが俳優や監督の仕事だったりもするンじゃないでしょうか。 
望月六郎監督の「鬼火」という作品で私が書いたト書きでは「国広、撃つ」としか書いていませんでしたが、国広を演じた原田芳雄さんはヤンキー(ウンコ)座りして撃ちました。そんな画は観たことなかったので、吃驚すると同時に感動しました。「鬼火」は97年の月刊シナリオ4月号に掲載されています。あれ十年前か……と感慨に耽る。(こういうのが書かなくてもいいト書きですね)
運良く、これまた96年の月刊シナリオ2月号に掲載されたシナリオ作家協会推薦作品「エイジ」を06年に監督する機会に恵まれました。何度か改稿を重ねて撮影に臨んだのですが、最終のシナリオにカッコト書きというものをなくしました。だから俳優のみなさんはセリフだけで感情を読まなければならないのですが、「ここ、わからないンですけど」というスタッフや俳優さんは一人もいませんでした。
また、今まで書かせてもらったシナリオはシナハンなんか全然ありません。だから、各シーンのシチェーションは想像です。これも、ロケハンしてみないとわからないだろうというのがあります。監督をするようになって、ますます書かなくなったような気がします。ほとんど北野武監督の採録シナリオと変わりません。
なんてことを言っておりますが、最近書かせていただいた映画は脚本のみだったので、プロデューサーの意向で画が浮かぶト書きを書き倒しました。だから書くか書かないかは臨機応変に、ですね。
監督や俳優の立場から言わせてもらうと、短くて不親切なト書きから俳優やスタッフがどれだけイマジネーションを広げられるか、という作業も大事だし、饒舌なト書きの持つ確固たるイメージを映像化することも大事だと思います。
私は脚本の勉強を学校や講座で受けていません。だから独学で脚本を勉強しまし
た。まず、最初にやったことは黒沢明監督の「酔いどれ天使」を書き写すこと。
全てはここに集約されているのです。

164 雑草の丘
うめき声は、その中から聞こえる。
「おおう、おおう、おおう」
かけもどって来た村上、総毛立つ思いで雑草の中を覗き込む。
遊佐が、草いきれの中をころげ廻って吠えている。
村上、凝然となる……こんな怖ろしい泣き方は見たこともない。
胸から血を吹き上げるような泣き方……どうにもならぬ悔恨の中で、ドロドロになったその姿……手錠だけが冷然と光っている!
しかも、そういう遊佐をとりまくものは……青い晴れ渡った空と白い雲……蝶々…野の花……遠くを過ぎて行く子供達の歌声!

それは、怖ろしい光景だった。
   村上は、その怖ろしい光景から目を外らすことができなかった。

                                                                      (深い……O・L)
2007.9月号「月刊ドラマ」


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